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日本国内で2006年に出版された漫画の単行本は10965点、漫画雑誌は305点存在する(廉価版が1450点含まれる)。また漫画と漫画雑誌の販売部数は、2006年に販売された出版物全体の36.7%に及ぶ。
現在では日本の漫画および日本風の漫画を指す“Manga”や、“Tanko-bon”(単行本)といった語は世界各国に広まっている。日本の漫画はアメリカン・コミックスや、フランス語圏のバンド・デシネなどの各国の漫画と比べて、モノクロ表現や独特のディフォルメ、高いストーリー性などの異なる特徴を持っている。そのため近年は世界的に高い注目度を誇っており、様々な国で翻訳され出版されている。以前は『AKIRA』国際版の様にアメコミ形式に再構成や彩色が行われる事が多かったが、近年はむしろ日本漫画の特徴を押し出して原書に近い形で出版されている。一方で翻訳は日本独自の文化や言語表現のために苦労が見られる。
外来語である「アニメーション」(アニメ)という言葉が1970年代後半に一般化する前には、アニメ作品、テレビアニメ、アニメ映画及び児童向けドラマ(特撮作品を含む)も「漫画」「まんが」「マンガ」と呼んでいた。(例 「東映まんがまつり」「まんが日本昔ばなし」など)このため中高年を中心に今でもアニメや特撮番組を漫画、あるいはテレビまんがと呼ぶ者もいる。
出版社などビジネスの世界では漫画絵のことをしばしば「ポンチ絵」と呼ぶ。これは、イギリスの風刺漫画雑誌パンチをもとに日本国内で創刊された、日本最初の漫画雑誌『ジャパン・パンチ』を語源とする。
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漫画作品自体の発展に比べ、評論は比較的未発達の分野である。
日本では1960年初頭から漫画を評論の対象とする事が行われ始めた。それは一部の貸本漫画への大きな社会的な批判に始まる(白土三平の忍者武芸帳を筆頭に有害図書問題として新聞・PTAなどに取り上げられた)。
その批判に対するファンによる反発・異論の多さから徐々に寸評が増え始める。1970年頃からは梶井純、石子順造、鶴見俊輔らによって詳細な評論が出始める。一時はブームの観さえあった。
しかし専門の評論家や批評の場もまだ少なく、文学や音楽、映画に比べると大きく見劣りし、評論の手法も確立されているとは言い難い状況が続いた。
1990年代に夏目房之介が、漫画のコマや描線と「漫符」と名付けられた漫画特有の記号的表現に注目して分析する独自の分析手法を開拓し、漫画学の模索が始まった。現在では夏目の他、石子順(石子順造とは別人)や村上知彦、呉智英、長谷邦夫、藤本由香里ら数名の活動の他に、大塚英志、いしかわじゅんらサブカルチャー畑の研究者や実作者によって批評が行われる事もある。
その一つの背景として、これまで読み捨て状態にされてきたため、データベースの不備が著しく、作品を目にする事自体に困難が伴う場合が少なくないという状況がある。日本マンガ学会は2001年に設立され、現在データベースの整備など、評論の土台を固める作業に取り組んでいる。
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